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静岡地方裁判所浜松支部 昭和62年(ワ)304号 判決 1998年4月13日

原告 田中久江 外三名

右四名訴訟代理人弁護士 中村正之

同 熊田俊博

被告 袋井市

右代表者市長 豊田舜次

右訴訟代理人弁護士 牧田静二

右訴訟復代理人弁護士 祖父江史和

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告田中久江に対し、金三九一五万五五九六円及び内金三五六五万五九九六円に対する昭和五九年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、同田中亨、同加藤佐知子、同田中秀宏に対し、各金一三四〇万六〇〇五円及び内金一二二〇万六〇〇五円に対する同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の開設する病院で胃癌の手術を受けた後、術後膵炎を発症し、肝不全を併発して死亡した亡田中昌夫(以下「昌夫」という。)の遺族である原告らが、被告に対し、診療契約上の債務不履行を理由として、昌夫の死亡による損害の賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告田中久江(以下「原告久江」という。)は、昌夫の妻であり、原告田中亨(以下「原告亨」という。)、同加藤佐知子(以下「原告佐知子」という。)及び同田中秀宏(以下「原告秀宏」という。)は、いずれも昌夫の子である。

被告は、袋井市立袋井市民病院(以下「被告病院」という。)の開設者である。

2  診療経過の概要等

(一) 昌夫(昭和四年三月一九日生まれ)は、袋井市立袋井東小学校の教員であったが、昭和五九年五月八日、被告病院で教職員の定期検診を受け、異常を指摘されたため、同年六月二九日及び同年七月二七日、被告病院内科で精密検査を受けたところ、早期胃癌(印環細胞癌)と診断され、同年八月七日、被告病院に入院した。

(二) 昌夫は、同月一五日、被告病院で、胃癌の手術(胃亜全摘術及びリンパ節郭清術。以下「第一次手術」という。)を受けた。

第一次手術は、術者を病院長小山芳雄医師(以下「小山医師」という。)、助手を鳥居重彦医師及び森尚哉医師、麻酔医を木村一彦医師及び下村昇医師として、午後三時二四分に開始され、上腹部正中切開を施行したところ、肝、腹膜及び獎膜に癌細胞の転移は認められず、胃前庭部に癌細胞の病変が認められたため、胃亜全摘術及びリンパ節郭清が行われ、ビルロート第一法による吻合が行われた後、右側腹部からウインスロー孔を通して腹腔内にドレーン(以下「ウインスロードレーン」という。)一本が挿入・留置され、午後六時一二分に終了した。

(三) 昌夫は、同月二〇日、重症者看護を解除されたが、同日、右ドレーンから約一〇ミリリットルの暗黒色の胃液様の排液が吸引され、その後、引き続き灰白色の排液が吸引され、その量は次第に増加した。

(四) 同月二五日午後七時二〇分頃、右ドレーンから約一四〇〇ミリリットルの血液様の排液が排出され、昌夫は発汗して顔面蒼白・呼吸困難となり、ショック状態に陥ったため、酸素吸入のほか、注射及び約二〇〇ミリリットルの輸血が行われ、同日午後一一時〇八分、腹腔内出血の緊急手術(胃切除及び胆摘術。以下「第二次手術」という。)が開始された。

第二次手術は、術者を小山医師、助手を前記鳥居医師及び浅野昌彦医師、麻酔医を前記森医師として行われ、開腹したところ、膵上面に術後膵炎による壊死が認められたほか、総肝動脈と膵との間から大出血していたことが認められたため、総肝動脈の縫合止血が行われ、更に、第一次手術の吻合部についてビルロート第二法による再吻合が行われ、胆嚢を摘出した後、右側腹部からウインスロー孔を通して二本、正中部から二本のドレーンが挿入され、翌二六日午前二時二六分に終了した。

(五) 昌夫は、同年九月一七日午前一一時一一分ころ、被告病院において、肝不全により死亡した。

二  原告らの主張

被告は、昌夫との間の診療契約の締結により、昌夫に対し、債務の本旨に従い、善良な管理者の注意をもってその早期胃癌を治療すべき義務を負っていたところ、被告の履行補助者である被告病院の担当医(以下「担当医」という。)は、この注意義務に違反し、後記1の過失により昌夫を死亡させたものである。

そこで、原告らは、被告に対し、民法四一五条の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、後記2の損害及びその内金(弁護士費用を除いた金額)に対する昌夫死亡の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

1  担当医の過失

(一) 第一次手術の際の膵臓損傷

担当医は、第一次手術の際、昌夫に対し、膵炎を発症させることのないよう、細心の注意をもって膵臓を愛護的に扱うべき高度の注意義務を負っていたのに、これを怠り、切創・挫滅・授動・触診・膵被膜の剥離等により、その膵臓に損傷を与えたものである。

この過失により、昌夫は、術後膵炎を併発し、膵酵素(トリプシン、キモトリプシン、リパーゼ、フォスフォライペースA)が活性化し、膵組織の自己消化を起こし、腹部動脈が溶解し、腹腔内出血を生じ、更に肝不全を併発した結果、死亡したのであり、昌夫の膵臓に相当の脂肪浸潤があったとしても、このことが担当医の過失を否定する理由にはならないというべきである。

(二) 第一次手術の際のドレーンの取付位置・方法の不適切

担当医は、第一次手術の際、昌夫に対し、膵炎を発症させることのないようウインスロードレーンを適切に取り付けるべき注意義務を負っていたのに、これを怠り、右ドレーンを不適切な位置または方法で取り付けたものであり、この過失により、その先端が膵臓の上面に当たり、膵上縁に壊死を発生させ、術後膵炎を発症させた結果、最終的に昌夫を死亡させたものである。

(三) 術後膵炎の徴候が現れた後の治療の不適切

担当医は、第一次手術の五日後の昭和五九年八月二〇日に、ウインスロードレーンから暗黒色の胃液様のものが吸引されたのを確認した段階で、膵炎の可能性を十分に注意しながら治療を進める必要があり、<1> 適切な保存的療法(リパーゼやエラスターゼを測り、膵外分泌の抑制剤、蛋白溶解酵素阻害剤、抗生剤を予防措置として持続的に使用し、CTをとって排液がたまったかどうかを見て、細いチューブを入れて持続吸引し、腹腔内に膵臓の排液が溜まらないようにするなど)や、<2> 時期を逃さない開腹術(膵授動兼膵床ドレナージなど)を行うなど直ちに術後膵炎に適応して処置をとるべき注意義務を負っていたのにこれを怠り、徒らにその経過を見ただけで同月二五日のショック状態に至った過失により、また、<3> 前記のとおり同月二〇日に胃液様のものを吸引しているから、この段階で、第一次手術の際の吻合部の縫合不全を疑い、縫合不全の有無を造影剤で確認し、またCT検査等で膵液が貯留していないかを確認し、膵液が貯留していればドレーンを入れ直して吸引するなどの措置をとるべき注意義務を負っていたのに、これを怠り、これらの措置をとることなくそのまま経過した過失により、昌夫の術後膵炎を悪化させ、最終的に死亡させたものである。

2  原告らの損害

(一) 昌夫の損害と相続

(1) 逸失利益 三〇三二万〇四〇七円

昌夫は、死亡当時五五歳で、前記のように袋井市立の小学校に勤務する教員であったところ、同小学校の教員の停年が慣例上五九歳であることから、五九歳までは、教員としての給与を基準とし、それ以降六七歳までは、通常停年退職後の収入は減額することを考慮して、大学卒六〇歳の平均賃金の六割を基準として、逸失利益を計算する。

<1> 五九歳までの逸失利益

一六四五万五八五三円

昭和五八年度総所得額六五九万五五〇六円×勤務年数四年のホフマン係数三・五六四三×(一-生活費控除率〇・三)

=一六四五万五八五三円

<2> 六七歳までの逸失利益

一三八六万四五五四円

賃金センサス昭和五九年第一巻第一表の大学卒六〇歳の平均賃金五八四万一八〇〇円の六割の三五〇万五〇八〇円×(五五歳から六七歳まで一二年のホフマン係数九・二一五一-五五歳から五九歳まで四年のホフマン係数三・五六四三)×(一-生活費控除率〇・三)

=一三八六万四五五四円

(2) 年金 二二九一万五六二四円

昌夫は、地方公務員共済組合法に基づき、公立学校共済組合から、退職予定時の翌月である昭和六三年四月一日から平均余命である七九歳まで年金を支給されることになっていた。

年額二七四万二八一六円×(一-生活費控除率〇・三)×(五五歳から七九歳まで二四年のホフマン係数一五・四九九七-五五歳から五九歳まで四年のホフマン係数三・五六四三)

=二二九一万五六二四円

(3) 慰謝料 二〇〇〇万円

(4) 相続

原告らは、以上合計七三二三万六〇三一円の昌夫の損害賠償請求権を、法定相続分に従い、次のとおり相続した。

原告久江 三六六一万八〇一六円

原告亨・佐知子・秀宏

各一二二〇万六〇〇五円

(二) 原告久江が支出した葬儀費用二四六万六一〇〇円

1  株式会社平安閣

九〇万一一〇〇円

2  寺への布施三六万円

3  墓石代四三万円

4  仏壇及び位牌代

七七万五〇〇〇円

(三) 原告久江の遺族年金控除

原告久江は、昌夫の死亡に伴い、昭和五九年九月から年間一三七万一四〇八円の遺族年金の受給権を取得し、公立学校共済組合から昭和六二年八月末日現在三四二万八五二〇円の支給を受けているので、原告久江の損害額合計三九〇八万四一一六円から右受給額を控除すると、原告久江の損害額は三五六五万五五九六円となる。

(四) 弁護士費用

原告久江につき 三五〇万円

原告亨・佐知子・秀宏につき

各一二〇万円

三  被告の主張

担当医に医療上の過失はなく、昌夫の死亡は当時の医療の限界を越える不可抗力の事故である。

1  第一次手術の際の膵臓損傷との主張について

胃癌の手術にあっては、胃の切除と共に、癌の転移・再発の防止のため、膵被膜の剥離・授動を行って膵後部や膵周囲のリンパ節を充分に郭清することが手術上必要かつ重要であるから、担当医が第一次手術で右の手技を行ったことを法的過失とみることはできない。

そして、担当医は、第一次手術時に細心の注意を払って愛護的にリンパ節郭清を行っており、その際、仮に担当医が膵実質に何らかの損傷を与えたことがあったとしても、それは昌夫の患部に脂肪組織が非常に多かったという不可抗力によるものというべきである。

2  第一次手術の際のドレーンの取付位置・方法が不適切との主張について

第一次手術の際に挿入したウインスロードレーンの位置や挿入方法に不適切な点はなく、第二次手術の際にドレーンの先端が膵の上面に入っていてその周辺に膵臓の壊死が認められたのは、ドレーンの先端位置が適切であったことを意味するものである。

また、本件ではシリコン製ドレーンの一部が膵の上面に当たっていたにすぎないのであるから、これが原因で膵の壊死が生じたものではない。

3  術後膵炎の徴候が現れた後の治療が不適切との主張について

(一) 担当医は、第一次手術の際に膵被膜の剥離や十二指腸膵頭部の授動を行ったことから、膵液の浸出による膵炎の発症を慮り、出血や滲出液を排出してその性状や量を知るため、膵頭十二指腸後部に側孔を有するウインスロードレーンを膵上面に挿入して排液の貯留と検査を継続したほか、第一次手術翌日の昭和五九年八月一六日から毎日、術後膵炎の治療に最も有効なFOY二〇〇ミリグラムを予防的に投与していたのであり、昌夫の第一次手術後の経過も同月二五日にショック症状を示すまでは良好で、担当医が同月二二日に排液のアミラーゼ検査の結果をみて術後膵炎の可能性を考えた後も、ドレーンからの排液は有効でFOYや抗生物質等の投与を続けていたのであるから、担当医は術後膵炎に対する適切な保存的療法を継続して行っていたものである。

(二) 開腹術等の外科的手術の適応と時期は患者の全身症状等を観察して慎重に選択すべきところ、本件では第一次手術の際に既に膵被膜剥離術、膵頭部授動術及び膵上縁への腹腔内ドレナージが行われており、その後の昌夫の全身症状も同月二五日までは良好で排液も有効に行われていたのであるから、この段階で膵全摘手術等の患者に過大な侵襲を加える手術を行うことはむしろ禁忌であり、同月二五日まで開腹術を行わなかったことは担当医の過失とはいえない。

(三) 第一次手術の際の縫合不全の事実はなく、担当医が第二次手術の際に第一次手術の吻合部を吻合し直したのは総肝動脈の止血操作中に牽引により吻合部が裂けたためやむなく行ったことである。そして、第一次手術後の昌夫には縫合不全に必ず伴う全身的所見やバイタルサインの変化(腹痛・季肋部痛・嘔気・嘔吐・発熱・頻脈等)も局所所見も認められなかったのであるから、同月二〇日に胃液様のものが吸引されたとしても、担当医には第一次手術の際の縫合不全を疑って対処すべき注意義務はなかったというべきである。

また、本件当時、肝・胆・膵に対する高速CTによるダイナミックスキャンの臨床的応用は行われていなかったから、CT検査による膵液貯留の有無の確認は不可能であった。

第三  当裁判所の判断

一  診療経過

前記争いのない事実に証拠(甲四の二、七の一、乙一ないし五、七、一〇、一三、証人小山芳雄の証言、鑑定の結果)、弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。

1  第一次手術までの経緯

昌夫は、昭和五九年五月八日、被告病院で教職員の定期検診を受け、心電図と胃部検診で異常を指摘されたため、同年六月二九日と同年七月二七日に、被告病院内科で精密検査を受けたところ、内視鏡検査や採取した組織についての病理学組織検査等の結果、早期胃癌(印環細胞癌)と診断された。

早期胃癌に対する治療法の原則は手術療法であり、その主病巣はもちろん、その浸潤、転移巣を含めて完全に摘除することで根治性が得られ、術後成績も一般に良好である。

昌夫は、同年八月七日、「胃の一部が荒れていて、このままでは癌に移行するので手術を受ける必要がある」との説明を受けて、手術を受けることに同意し、同日、被告病院内科に入院し、同月一一日、手術のため同病院外科に転科した。

入院後、手術前の諸検査が実施されて、手術可能と診断されたが、右検査において、昌夫の膵臓や肝臓に異常は認められていない。

2  第一次手術

(一) 早期胃癌は、前記のとおり、その主病巣、浸潤、転移巣を含めて完全に摘除することで根治性が得られるが、癌細胞が完全に摘除されていない場合には転移して再発することがある。癌の深達度やリンパ節転移の有無は術前及び術中の所見によって確定することが困難であることから、癌の再発を防止するため、早期胃癌手術においては、癌の主病巣だけではなく、広範囲に胃を切除し、周辺リンパ節を予防的に郭清することが広く行われている。胃癌の周辺リンパ節(胃癌研究会の作成した胃癌取扱規約により、各リンパ節に名と番号が付され、癌の占拠部位ごとに、癌から近い順に群別に分類されている。)の郭清をどの程度まで行うかについては、必ずしも定まった見解はないが、小山医師は、胃癌の病変が胃前庭部にある場合、前記胃癌取扱規約の第一群(<3>番小彎リンパ節、<4>番大彎リンパ節、<5>番幽門上リンパ節、<6>番幽門下リンパ節の胃に接したリンパ節)、第二群(<1>番右噴門リンパ節と膵上縁に沿って存在する<7>番左胃動脈幹リンパ節、<8>a番総肝動脈幹前上部リンパ節、<9>番腹腔動脈周囲リンパ節)のリンパ節を郭清し、手術手順中に第三群に属するリンパ節の一部が直視下に存在していた場合に、そのサンプリング郭清を行って病理組織学的検査を行うことを常用していた。本件手術当時、一般に、胃癌手術においてリンパ節郭清は完全に行うべきと考えられており、小山医師の採用している右手術手技は、標準的な術式のひとつである。

(二) 第一次手術は、昭和五九年八月一五日午後三時二四分に開始され、小山医師が上腹部正中切開により開腹し、転移の状況をみたところ、肝臓、腹膜及び獎膜等に転移は認められず、胃前庭部の小彎側に一・五cm×〇・四cmの癌細胞の病変が認められた。そこで、同医師は、根治手術が可能であると判断して、胃亜全摘術(幽門側五分の四を摘除)とリンパ節郭清を行うこととした。すなわち、

(1) まず、大網を横行結腸付着部で肝結腸曲から脾結腸曲まで摘除し、横行結腸間膜前葉を剥離して、膵下面より前面の膵被膜を膵上縁まで剥離して<4>番大彎リンパ節を郭清し、右胃大網静脈が前下膵十二指腸静脈と合流する部分でこれを結紮切離し、右胃大網動脈を胃十二指腸動脈から分離する部分で結紮切離し、膵頭部前面を全部剥離して、<6>番幽門下リンパ節を郭清した。

(2) 次いで、コッヘル法十二指腸授動術を行って十二指腸右側面の後腹膜を切離して十二指腸、膵頭部の背面を下大静脈、腹部大動脈より剥離して左方に授動すると、第三群に属する<13>番膵頭後部リンパ節と<12>番肝十二指腸間膜内リンパ節の一部が剥離時に露出するので、<12>番四個、<13>番一個のリンパ節をサンプリングした。

(3) さらに、小網を肝付着部で切離して肝十二指腸靭帯前面より左側の脂肪組織を剥離して固有肝動脈を露出して、これより分岐する右胃動脈を結紮切離して幽門から二センチメートル十二指腸球部で胃切離して、<5>番幽門上リンパ節を郭清した。

(4) そして、膵上縁の膵被膜を剥離しつつ、膵上縁より総肝動脈に沿って<8>番総肝動脈幹リンパ節を郭清し、左胃動脈を結紮切離して脾動脈幹を露出し、<11>番脾動脈幹リンパ節の一部を郭清し、さらに腹腔動脈を剥離露出して<9>番腹腔動脈周囲リンパ節を郭清し、左胃動脈根部を露出して<7>番左胃動脈幹リンパ節を胃側にそぎとり、同動脈を結紮切離した。

(5) 最後に、噴門部より<1>番右噴門リンパ節を郭清しつつ、小彎側の小網膜と胃壁との間を分離して胃壁を露出するように幽門の方に剥離すると、<3>番小彎リンパ節は切除胃に附したまま切除される。左胃大網動脈を切離して<4>番大彎リンパ節を切除胃につけたまま噴門直下より大彎側に胃の五分の四を切除した。

以上の手技は、小山医師が常用している手技であるが、昌夫は脂肪組織が豊富で厚く、膵臓が柔らかくなっていたため、膵被膜を剥離した際には膵実質の表面を走っている小さな血管からの出血があり、縫合止血が繰り返された。小山医師は、第一手術の特記事項として「脂肪組織が豊富で大網も脂肪が厚く手術がやりにくい」旨を記載した。

(三) 同医師は、胃亜全摘後の残胃と十二指腸をビルロート第一法により吻合後、シリコンゴム製の側孔付きドレーン一本を、昌夫の右側腹部からウインスロー孔を通して腹腔内に挿入・留置し、午後六時一二分、手術を終えた。

ドレナージ(創あるいは体腔から分泌液や体液などを持続的に対外に誘導排除すること)は、創あるいは体腔内に貯留した血液、滲出液、リンパ液、臓器漏出液、組織液などを対外に排出して感染を予防し、いったん発生した感染巣より膿を排除して炎症の拡大を防止するとともに、発生するかもしれない縫合不全を察知し、発生時の排液を適切に行う目的で行われる。本件の胃癌手術のように、広範囲なリンパ節郭清を行った場合は、組織が露出することになるので、手術後、組織液が漏出したり、毛細血管から出血したりすることは当然に予想されるところであり、出血と組織液を対外に廃棄するために、腹腔ドレナージが行われるのが通常である。小山医師も胃癌手術で胃亜全摘術を行った場合はドレーンを一本入れるのを通例としている。

3  第一次手術後、第二次手術までの経過

(一) 術後、昌夫に対して、電解質、アミノ酸、ブドウ糖を主成分とした補液と、感染防止のための抗生物質としてセフォペラジン、各種ビタミン剤、止血剤のほか、FOY(メシル酸ガベキサートの商品名。蛋白分解酵素阻害剤)一〇〇mg二アンプル(同月二一日、二二日は一日一アンプルに減らされたが、二三日以降は再度一日二アンプルに戻された。)が投与された。FOYは、急性膵炎や術後膵炎に対する治療薬であり、小山医師は、胃癌の手術にあたってリンパ節を広範に郭清した場合には、前記のとおり、手術後組織液が漏出することは予想されることから、膵炎が発症する可能性も考え、全例、予防のためにFOYを使用している。

また、同月一九日には、膵液の分泌を抑制する作用をもつワゴスチグミン一アンプルが投与された。

(二) 同月一九日までの昌夫の術後経過は順調であり、術後第一病日(同月一六日)のアミラーゼ検査で血清五八〇、尿三三二一と軽度の上昇が認められ、三八度台の発熱があったが、胃癌の手術後の状況としては通常のものであり、その後、発熱は平熱化し、腸蠕動も開腹して排ガスもあり、同日から経口的に飲用可能となった。ドレーンからの排液も通常の血液を含んだ獎液性の分泌物で、特段異常はなく、量も次第に減少していた。

(三) 同月二〇日、昌夫は、一般状態に異常がなかったため、経過良好として重症者看護を解除されたが、鳥居医師が回診時に、ウインスロー孔に挿入してあるドレーンを抜去しようとして吸引したところ、右ドレーンから約一〇ミリリットルの暗黒色の胃液様の排液が吸引されたため、ドレーンを留置することにし、排出液について細菌検査、アミラーゼ検査を実施したところ、アミラーゼ値は一三二一〇という高値を示した。小山医師は、右の報告を受けた後、カルテの医師指示欄に「膵よりの排液(膵の一部が壊疽で脱落)と思われるのでもう少しドレーンを入れておいて下さい。」と記載した。

(四) その後、同月二一日には、灰色のうすい分泌があり、同月二二日には、灰白色の排液があり、小山医師はカルテの医師記録欄に「脂肪層多く膵被膜も剥離したがもろいので縫合止血を繰り返したので膵臓よりの滲出液と思われる」旨を記載した。同月二三日には黄白色のガス状物の排液が、同月二四日には、脂肪壊死物の流出があり、同日、小山医師はカルテの医師記録欄に「排液管より脂肪壊死物流出あり、もう少し経過をみる、食欲良好、一応膵液による脂肪壊死物とムンテラすみ」との趣旨を記載した。昌夫のバイタルサイン(熱、脈拍、血圧等)は、右期間中も良好であった。

4  第二次手術

同月二五日、ドレーンから黄色みを帯びた灰白色の排液が約一〇〇ミリリットルあったが、昌夫の一般状態は良好であったものの、午後七時二〇分頃、突然、ドレーンから約一四〇〇ミリリットルの血液様の排液が排出され、昌夫は発汗して顔面蒼白・呼吸困難となり、ショック状態に陥ったため、酸素吸入が開始され、注射と輸血が実施され、腹腔内出血の止血のため、急遽第二次手術が施行されることになった。

第二次手術は同日午後一一時八分に開始され、小山医師は、第一次手術と同じく上腹部正中切開により開腹したところ、第一次手術の際に挿入留置したドレーンの先端が挿入時とほぼ同位置の膵上面の縁に当たっていてその周囲に顕著な壊死があるのを認めた。開腹時には一応止血していたがしばらくすると総肝動脈と膵上面の間から大出血があったので、小山医師は総肝動脈を結紮して止血した。その際、胃を牽引したことにより第一次手術の吻合部が裂けたので、これをビルロート第二法により吻合し直し、更に、右結紮後の胆嚢炎の発症を予防するため胆嚢の摘出を行った後、右側腹部からウインスロー孔を通して二本、正中部から二本のドレーンを挿入して手術を終えた。なお、術中の出血量が約一二〇〇ミリリットルあったため、これを補うため、術中術後にほぼ同量の輸血が行われた。

5  第二次手術後の経緯

第二次手術後、昌夫の全身状況は比較的安定し、同月二九日、重症者看護が解除され、小康状態を保っていたが、同月三一日、シャックリがひどくなり、シャックリの際、呼吸困難を伴うようになり、腹部膨満もみられ、ウインスロードレーンより発酵臭を伴う薄茶色の排液が吸引された。

翌九月一日、シャックリと呼吸困難がみられ、全身色やや黄色調となり発熱もあり、胃ゾンデから排液があるため、酸素吸入とネプライザー及び点滴注射等の治療が続けられた。

同月四日、右側腹部ドレーンから黄褐色物を、正中部ドレーンから茶褐色分泌物を、多量に排出し、ドレーンから出血したので、輸血が行われた。

その後も、各ドレーンからの排液が続き、同月一一日には、重症者看護が開始されたが、各ドレーンから排液、呼吸困難、全身発汗状態を生じ、同月一四日には、肝性昏睡に至り、同月一七日午前一一時一一分ころ死亡した。

小山医師は、昌夫の直接死因を肝不全、その原因を術後膵炎と診断した。

二  第一次手術の際の膵臓損傷の過失の主張について

原告らは、第一次手術に際して、担当医が膵臓を愛護的に扱うべき高度の注意義務に反して、切創・挫滅・授動・触診・膵被膜の剥離等によって膵臓に損傷を与え、その結果、昌夫に術後膵炎が併発したと主張する。

証拠(甲七の二、八ないし一〇、乙三ないし五、証人小山芳雄の証言、鑑定の結果)によると、術後膵炎(術後に発生する急性膵炎)は、膵臓と無関係な手術であっても発生することがあるが、膵臓と無関係な手術後よりも、膵臓及びその周辺の手術後の方がはるかに高頻度で発生すること、術後膵炎の直接的要因として、膵そのものの損傷(膵実質の損傷、膵管の損傷)のほか、膵の血管系・リンパ系・神経叢の損傷(膵虚血・リンパのうっ滞)、Vater乳頭部の損傷・機能障害(膵液うっ滞)、十二指腸液の膵管内への逆流等があげられているが、膵そのものの損傷による場合が最も多いと考えられていること、もっともこれらの病因は単一なものではなく、複数の病因が複合して術後膵炎が発生すると思われるとする文献や原因は大多数不明であるとする文献もあること、手術中の膵損傷は、切創や挫滅のみではなく、膵臓の授動、牽引、触診によっても発生しうること、リンパ節郭清は、鋏、鉗子、鑷子を使って内蔵についているリンパ管やリンパ節をそぎとっていく作業であり、右作業中に鋏、鉗子等で内臓に直接損傷を与えるようなことがなくても、リンパ節をそぎとることで同時に内臓に損傷が生じることは考えられるところであり、特に、臓器に脂肪の浸潤がある場合には、リンパ節をそぎとる作業に困難が伴うばかりでなく、一般に臓器が柔らかくて脆いので、臓器に損傷を与える可能性が通常の場合よりも非常に高くなることの各事実が認められ、以上の各事実に、前記一2に認定の事実(第一次手術では、膵臓周辺のリンパ節が広範に郭清され、膵臓の授動や膵被膜の剥離が行われており、昌夫の脂肪組織が豊富であったため、手術はやりにくく、縫合止血が繰り返されたこと等)を総合すると、第一次手術時に膵臓に損傷が生じた結果、昌夫に術後膵炎が発症した蓋然性は相当高いものというべきである。

しかし、前記のとおり、膵臓の授動や膵被膜の剥離等は、それによって膵臓に損傷が生じる可能性の避け難い作業であり、特に脂肪の浸潤がある場合には、その可能性が通常よりも非常に高くなるものの、右作業は膵臓周辺のリンパ節を郭清するのに不可欠な作業であるから、リンパ節を郭清するために膵臓の授動、剥離等を行った結果、膵臓に損傷が生じたとしても、直ちに、執刀した医師に過失があるものということはできない。そして、第一次手術時に不適切な手術手技等があったために膵臓に不必要な損傷が生じたことを窺わせる証拠もないから、この点に関して、小山医師に診療契約上の注意義務違反があったものと認めることはできず、原告らの主張は理由がない。

三  第一次手術の際のドレーンの取付位置・方法が不適切との主張について

原告らは、担当医がウインスロードレーンを不適切な位置又は方法で取り付けた過失により、その先端が膵臓の上面にあたり、膵上縁に壊死を発生させ、術後膵炎を発症させたと主張する。

証拠(乙二)によると、第二次手術時の手術記録中に、「ドレーンの先端が膵の上面に当たって膵の上縁に壊死あり。」「ウインスロー孔に挿入してあるドレーンの先端が膵上面に入って膵及び膵周囲の脂肪壊死が著明である。」旨の記載があることが認められるが、証人小山芳雄の証言に照らすと、右手術記録中の記載は、膵臓の壊死がある付近にドレーンの先端があったとの事実(従って、排液、壊死物が十分に排出される位置にあり、ドレーンの先端の位置としては適切であったこと)を記載したものに過ぎず、ドレーンの先端が膵上面に当たったために壊死が発生したことを確認した記載ではないから、右記載のみから、昌夫に術後膵炎が発症した原因をドレーンによる圧迫壊死と認めることはできない。

鑑定の結果によると、シリコンゴム製のドレーンを使うようになる前は、固い材質のドレーンを使っており、腸管などはこれによって押されて壊死になったということはあったが、シリコンゴム製になってから非常に少なくなったこと、シリコンゴム製のドレーンは当時としては最高の材質であること、シリコンゴム製のドレーンを使用した場合にその先端が膵臓の上縁にあたったことが原因で膵臓が壊死することは一般的にはないこと、ただ、昌夫の膵組織がもともと脆いことに照らすとドレーンが原因ではないとの断定もできないこと、小山医師が第一次手術時に挿入したドレーンの位置に問題はないことが認められ、また、証人小山芳雄の証言及び弁論の全趣旨によると、第二次手術時に開腹したところ、ドレーンの位置は当初の挿入時とほぼ同位置にあり、ドレーンの先端が血管に刺入されたり、膵実質に刺入されたりはしていなかったことが認められるから、これらの事実によると、本件術後膵炎がドレーンによる圧迫壊死により生じた可能性は乏しいというべきである。

また、ドレーンの先端を直接臓器に刺入するなど、第一次手術時のドレーンの取付位置、方法等において、不適切な点があったものと認めるに足りる証拠もない。

よって、ドレーンの取付位置、方法について小山医師に過失があるものということはできず、原告らの主張は理由がない。

四  術後膵炎の徴候の現れた後の治療行為が不適切との主張について

(一)  担当医のとった治療行為

前記一3に認定の事実及び証拠(乙二、証人小山芳雄の証言)によると、小山医師は、膵臓周辺の広範なリンパ節郭清を行った場合には、膵炎にはならなくても、膵液の漏出等があることは当然予想されることから、第一次手術後、昌夫に対して、電解質、アミノ酸、ブドウ糖を主成分とした補液と、感染防止のための抗生物質、各種ビタミン剤、止血剤のほか、膵炎に対する治療薬であるFOYを毎日投与することを指示したこと、また、同月一九日に、膵液の分泌を抑制する作用をもつワゴスチグミンを投与したこと、昌夫の術後の経過が順調であったことから、同月二〇日、ドレーンの抜去を予定していたが、同日、胃液様の排液がドレーンから吸引されたのでドレーンの留置を指示したこと、右排液のアミラーゼ値は高かったが、昌夫の一般状態は良好であり、第一次手術において膵授動やドレナージをしていることを考慮して、従前通りの投薬を続けて経過を観察することとしているうち、同月二五日のショック状態に至ったことが認められる。

(二)  保存的療法の適否について

原告らは、昭和五九年八月二〇日にドレーンから暗黒色の胃液様のものが吸引されたのを確認した段階で、他に、リパーゼやエラスターゼを測り、膵外分泌の抑制剤、蛋白溶解酵素阻害剤、抗生剤を予防措置として持続的に使用し、CTをとって排液がたまったかどうかを見て、細いチューブを入れて持続吸引し、腹腔内に膵臓の排液が溜まらないようにするなどの処置をとるべき注意義務があったのにこれを怠り、術後膵炎を悪化させたと主張し、鑑定の結果中には、術後膵炎と確定的に診断するのは、同月二五日に多量の出血があるまでは困難であったが、術後膵炎の可能性を予測すべき時期であるから、予防措置を中心として、原告ら主張の前記の措置をとってもよかったのではないかとする部分がある。

しかし、鑑定の結果中には、また、胃の手術で膵臓を触って、リンパ節郭清を行った場合などは、膵液が漏出してアミラーゼ値が高くなることは多々あるが、膵液瘻になって、重体にならずに治っていく場合が多いこと、本件の担当医もFOYの投与等ある程度の予防策を講じており、二五日までの処置として十分とはいわないまでも間違ってはいないと思われること、本件当時、リパーゼ、エラスターゼの検査は必ずしも一般的に求められていたものとまではいえないこと、バイタルサインが良いからCTをとらなくても良いとの判断もありうること、原告ら主張の前記の措置をとったとしても、術後膵炎の発生が妨げられたとか、重症にならずにすんだかどうかは分からないこと等とする部分もあることに照らすと、当時の医療水準に照らし、原告ら主張の各措置をとらなかったことについて診療契約上の注意義務違反があったものとまでいうことはできず、原告らの主張は理由がない。

(三)  開腹術をとらなかったことの適否について

原告らは、担当医は、時期を逃さず開腹手術(膵授動兼膵床ドレナージなどの外科的治療)をすべきであったのにこれを怠り、徒らにその経過をみただけで昌夫をショック状態に至らせたと主張する。

証拠(甲七の二、一〇、一二、一三、乙三、一一、一三、一五、証人小山芳雄の証言、鑑定の結果)によると、術後膵炎の治療法には保存的療法と外科的療法とがあり、その適応について必ずしも定説はないが、まず、保存的療法を行うのが適切であり、保存的療法の無効例や重症の場合に外科的療法を行うとする考え方が一般的であること、膵授動兼膵床ドレナージ術は、被膜の中で膵の実質が壊死になると、壊死が増悪することから、被膜を剥離して膵液を外部に漏出する目的で行われるが、第一次手術において、目的は異なるものの膵臓の授動や膵被膜の剥離が行われており、出血や組織液を体外に排出するためにウインスロードレーンが挿入留置されていること、昌夫については、前記のとおり、同月二五日までは一般状態も良好であり、同日まで術後膵炎であるとの確定的診断をするのは困難であったものとみられることの各事実が認められ、以上に照らすと、昌夫がショック状態に至る前の段階で開腹術をしなかったことを診療契約上の過失ということはできず、この点に関する原告らの主張は理由がない。

(四)  縫合不全の有無を確認しなかったことの適否について

原告らは、同月二〇日の段階で、第一次手術時の縫合不全を疑い、造影剤で胃袋の縫合不全の有無を確認し、ドレーンから造影剤を入れ、ドレーンがうまく入っているか、有効に機能しているかを確認し、さらにCT等で膵液の貯留の有無を確認し、貯留していれば、ドレーンを入れ直して少しずつ吸引する等の方法をとるべきであったと主張し、鑑定の結果中には、縫合不全の有無は必ず確認すべきであったとする部分がある。

しかし、証拠(乙二、証人小山芳雄の証言)によると、縫合不全の有無は開腹すれば術者には直ちに判明するものであるところ、第二次手術時に開腹した際に、縫合不全の事実は認められなかったこと(第二次手術時にビルロート第二法による再吻合が行われたのは、総肝動脈を結紮する際に、胃が引っ張られ、第一次手術時の吻合部が裂けたことによるものであって、第一次手術時の吻合の際に縫合不全があったことを意味するものではないこと)が認められる。そうしてみると、縫合不全の有無を確認していれば、術後膵炎の発症が妨げられたとか、重症にならなかったということはできず、小山医師に、縫合不全の有無を確認すべき診療契約上の注意義務があったものとは認められないから、この点に関する原告らの主張は理由がない。

第四  結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内山梨枝子 裁判官 有賀直樹 裁判長裁判官 根本眞は、転補につき、署名捺印することができない。裁判官 内山梨枝子)

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